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おもいでになったとき

あわよくば《いい思い出だな》と、思い返す日がきますように!(願) 今の日々が思い出になったとき・・・。私はどんな人になっているのだろう?いろんな人達と語り合えると良いなっと、blogに初挑戦です。

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毎年。返事は来ない。
と、わかっていても出し続ける年賀状。って?
皆さんにもありますか?

私はその中の一人にかつての上司がいます。
無鉄砲な遍歴の中で・・・
行き当たりばったりで就職した。あの?
スポーツクラブの上司です。
私が入社した時は、主任で26・7歳だったかと?
若手の期待の星でした。
退職する時には、支配人にまで昇っていました。
順風満帆に出世されている。
ように見えますが・・・?
本当は?たいへんな経営難で・・・
この会社は規模縮小=リストラをする際に、
現場を切る訳には行かず・・・
上から切って行ったのでした。
なので?彼は肩書きだけ・・・
主任課長支配人
と、とんとん拍子に上がっていっていますが?
机の場所も?仕事内容も?
主任の時と同様でした。。。
ただ、上の仕事が若干プラスされただけ!
↑この上の仕事たちはつまらないらしく・・・
文句たらたらでした。

一応事務所にも机がありましたが?
我々が会員様へ一斉電話連絡などを入れる際に、
あっ!あの机の電話も使える。
借りますよ~!

なんて使い方でした。。。
最後は、事務所で仕事してるのは?
事務員一人だけになっていました。

この方法で、何とか細々とやり過ごそう。
と、したらしいのですが?
私が最後の寿退社を飾り・・・
一月後
会社は今月一杯で閉鎖決定だって~
と、同僚から風の便りが・・・
会員様方からの風の便りにも?
みんなバラバラに、近隣のクラブへ移籍して、寂しくなりました。
とか?
NANAちゃんが見ていた選手さんたちは、ほとんどお隣の○○クラブへ行ったみたいですよ~。
とかの物が・・・
子どもたちからも便りはきていました。
↑今年も来ている。もうすっかり大人です。
成人式おめでとーの人達が一番のちびっ子でした。

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養護学校に勤めていた頃のお話。

勤め先の養護学校は、比較的規模が小さく
のびのびとした自由な校風と、生徒の表情の良さ。
が、ご自慢?の私立の学校だった。

私が桜のために選んだ保育園も似たような園風を持っている。と、思っている。
教師が苦心して編み出してくる実践の元となる『授業の素材』も桜の師?である保育士たちのそれと似通った物が多かったりもした。
私はおおらかな雰囲気が好きだった。
こんな中で桜に育って欲しいと思っていたし、
彼らとのふれあいの中で学ぶべき事は多いはずだし、
もし?桜が積極的に触れ合おうとした場合・・・
その行為に助けられるのは、相手ではなく桜の方だろう。
私がそうであったように。
と、本気で思っていた。(今でもこの考えは変わらない)

そして、機会があればできるだけ
そのチャンスを与えたい。
が、今は桜の身体が圧倒的に小さい。
精神的にも体力的にも強烈なパンチを持っている人も少なくない。
彼らと渡り合っていく力はまだまだない。(私にあるのか?も疑問だ)
これは、様子伺いをしながら・・・
チョボチョボやっていくしかない。
そんな平常の生活の中で
桜が自分で興味を持たなければ、良い方向へは運ばないだろう。
と、考えていた。(今も)

彼らと桜も、彼らと私も
別々の個人だ。
と、いう以外の違いはない。

と、本気で思っていた。(今も)
そして、それを教えてくれた人達に感謝している。

私はこれが自分の
本気・本音
だと思っていた。

ところが・・・?





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あまり、自分の素性を詳しく書いていないので、来てくださっている方々に失礼かな?
と思い、それと、娘の事で書きたいこともたくさんあるんだど・・・
彼女のこれまでの成長過程と私のそれとが並行している部分もあるので・・・。
先にそっちを!との思いから、私の経歴を少し・・・。
(とても恥ずかしいんだけど)

【子ども時代】
サンタの話しで少し触れていますが、4人姉妹の中で育った中間子。
2番目の『はねっかえり』さんです。
妹たちにはさほどな興味はなく、無意識のモットーは
打倒姉ちゃん!
だったように思います。
《母親談》
あんたは手のかからない子だった
ですが、手はかからなかったのではなく
かけられなかった
が正しいでしょう。
と、現在では解釈しています。

子どもたちの食いぶちを何とかせねばならない両親は、共稼ぎ。
母は、常にフルタイムで働いていたと記憶しています。
当時から流行?だした主婦のパートタイム勤務ですが、友達の母親たちに比べ、明らかに自分の母親が家にいる時間はわずかだった。
偏食が激しく、神経の細い姉と、小児喘息に苦しんだ末の妹。妙に物分りが良い天才型?の直ぐ下の妹。に挟まれた、
体格が良く、何でも食べ、よく寝る。
とにかく丈夫。な私。
物心ついた頃には、親や姉妹に困りごとを尋ねても埒が明かない。それより友達や家族外の人と過ごす時間の方が楽しいし、充実感がある。と思っていた私は、
母の目には、口数が少なく、運動する事が好きなスポーツ派。に写っていたようだ。

【学生時代】
小学校では、夏はブラスバンド。冬はスキー。の課外活動に夢中だった。
中学から、バレーボール部に所属。
現在、桜が注目している習い事だが・・・
私が希望したのは、水泳・空手などやはり運動系。(母は覚えてないらしい)
実際に唯一やらされたのは、
ピアノ。(何度もやめると訴える)
だが、丸5年間お月謝を払ったはずだろう(苦しい家計の中で)が、
バイエルが終わらなかった。。。
↑自慢にならない
と、言う記録的な腕前だ。
(これが後にトラウマのようになって桜を苦しめるのだった)


【最終学歴:高校】
高校入学時、私が夢中だったバレーボールは、実業団の充実やワールドカップ日本開催などの好景気ですごいブームだった。
バレーが強い地元の私立高校への進学を希望するが、経済的に不可能。
働くか?自宅から1番近い姉と同じ公立校(普通科)へ進学するか?
の二者択一だった。
このことで後に両親はたいへんな罵声(八つ当たり)を浴び、かわいそうな事だった。
もっと学力があれば別だっただろうに!
でも末の妹は私学のお嬢様校へ進学するのだった。しかも卒業後海外留学?!(これはそのうち記事になるだろう)

さあ、周りに勧められるまま、バスで10分の近距離の高校へ入学したが、
大好きなバレーボール部は弱小。
ブラスバンド部は、全国にまで出場するほどの強豪。
迷ったが、またもや周りの勧めでバレーボール部へ!
中学で背番号を持っていた者たちは、強烈な勧誘に会うのだ。
でも、これはうまく行かなかった。
2年生になり、先輩が抜けると、とうとう入部動機が『富士フィルムがかっこいいから!』と、練習よりバレーボールマガジンを眺めることに夢中の仲間たちと衝突するのだ。。。
上記にもあるが、私は家には居場所がない。
友達との衝突のストレスには耐えられない。
退部して、不登校となった。
両親は、中間子の私に対して決して無関心ではなかったのだろうが、
家の外での私の世界に理解が及ぶほどの生活ではなかった。
不登校の上、家の中で荒れまくる私を扱いかねたのだろう。
私は一時叔父の家へ預けられる。
叔父は自営業で、日中私を外へ連れ出す(仕事に連れて歩く)余裕を持っていた。
叔父は私の知らなかった外の世界を見せてくれた。
この叔父夫婦は、今でも私は大好きだ。里帰りの際には、桜を連れて必ず寄ろうとする。
お父さん子でもお母さん子でもおばあちゃん子でもない私は、叔父さん子なのかもしれない。

叔父のおかげで、外の世界に興味を持った私は、
今度は
アルバイト
することを糧に学校へ戻る。
↑どこまでも勉強はしないのね???

アルバイトと学校という2重生活で、だましだまし学校へ行き・・・、
夏休みは自転車で
北海道横断ツーリング
を、泣いて止める母を振り切り決行する。
などして、ぎりぎりの単位取得で何とか卒業するのだった。。。

『仰げば尊し』
好きな先生はいたはずだが恩師と呼べる先生は、私の中で数少ないが、
この時(高校2年3年)の担任だった教師は、唯一学生時代の恩師と呼べるだろう。
大学進学を目指して、ひたむきな友人たちを尻目に
私だけが別の物を見ていた。
『かわらずに我が道を歩んでいますか?』の年賀状に今も支えられていると思う。

ちなみに、幼少時代の私とのかかわりはほとんど覚えていない母だが、
唯一この時代の一言
お母さんは、女だからって差別するの?(と、言ったらしい)
↑ツーリング決行の時の一言だそうな(はっきりと覚えていない)

これは、しっかり脳裏に刻まれたらしく、今でもぶつくさ言われるのだ。
なんと桜を産み落とした直後、彼女は
女の子の母親の気持ちがわかったかい?
↑いつか言ってやる!とたくらんでいたに違いない。
と、不毛の問いかけをするのだった。。。産後の娘に???

だが、母の
あんたは親の何を見てきたの?!
私が女である事に、どれだけの思いをしてきたか?
知らないとは言わせない!

↑これは覚えている。
すまない母ちゃん。。。何も見ていなかったのです。

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昨日の受けた試験。科目は、『社会福祉学』。
ありゃもう1回冬に挑戦。確定だな!  

↑・・落としてしまっただろう・・・(汗 の意味。

試験終了後、ボロボロになってネットの大海をザブザブやっていた。すると・・・

【カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル】のページについた。

読みながら、胸が痛む。わたしは何をしているのだろう???!
それでも自分に甘いわたしは、ページの中を飛ばして飛ばして・・・
【120人の意見書】のところで、とうとう飛ばせなくなった。
そこには、当事者の方々の現在進行形の日常がありありと赤裸々に描かれていた。

泣きそうだった。
法律は国会を通過して、施行された。この意見書は、1年前の物だ。しかし、彼らが綴った日常は、施行後の今この瞬間も何も変わらないかのように脈々と続いている事をわたしは知っている。ここで語られている言葉は、今・現在の言葉だ。そして、わたしはまだ何もしていない。

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いろんなジャンル・いろんなテーマがあって・・・迷ってしまいます。
この状況はもう迷子でしょう。

↑これが自己紹介のすべてになるかもしれない・・・。
(心の声)私のすべてって、これだけって事??

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プロフィール

NANA

Author:NANA
わが家は3人家族。
きっと一生溺愛し続ける娘は7才。小学1年生。
定年まであと10年をきった年代間ギャップの激しい夫。
異郷の地で友達が少ない私。昔からメカ音痴の上、はやり物に乗るのはきっと今回のこのblog挑戦が生まれてはじめてかも・・・?
がんばるぞ!

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