おもいでになったとき

あわよくば《いい思い出だな》と、思い返す日がきますように!(願) 今の日々が思い出になったとき・・・。私はどんな人になっているのだろう?いろんな人達と語り合えると良いなっと、blogに初挑戦です。

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あまり、自分の素性を詳しく書いていないので、来てくださっている方々に失礼かな?
と思い、それと、娘の事で書きたいこともたくさんあるんだど・・・
彼女のこれまでの成長過程と私のそれとが並行している部分もあるので・・・。
先にそっちを!との思いから、私の経歴を少し・・・。
(とても恥ずかしいんだけど)

【子ども時代】
サンタの話しで少し触れていますが、4人姉妹の中で育った中間子。
2番目の『はねっかえり』さんです。
妹たちにはさほどな興味はなく、無意識のモットーは
打倒姉ちゃん!
だったように思います。
《母親談》
あんたは手のかからない子だった
ですが、手はかからなかったのではなく
かけられなかった
が正しいでしょう。
と、現在では解釈しています。

子どもたちの食いぶちを何とかせねばならない両親は、共稼ぎ。
母は、常にフルタイムで働いていたと記憶しています。
当時から流行?だした主婦のパートタイム勤務ですが、友達の母親たちに比べ、明らかに自分の母親が家にいる時間はわずかだった。
偏食が激しく、神経の細い姉と、小児喘息に苦しんだ末の妹。妙に物分りが良い天才型?の直ぐ下の妹。に挟まれた、
体格が良く、何でも食べ、よく寝る。
とにかく丈夫。な私。
物心ついた頃には、親や姉妹に困りごとを尋ねても埒が明かない。それより友達や家族外の人と過ごす時間の方が楽しいし、充実感がある。と思っていた私は、
母の目には、口数が少なく、運動する事が好きなスポーツ派。に写っていたようだ。

【学生時代】
小学校では、夏はブラスバンド。冬はスキー。の課外活動に夢中だった。
中学から、バレーボール部に所属。
現在、桜が注目している習い事だが・・・
私が希望したのは、水泳・空手などやはり運動系。(母は覚えてないらしい)
実際に唯一やらされたのは、
ピアノ。(何度もやめると訴える)
だが、丸5年間お月謝を払ったはずだろう(苦しい家計の中で)が、
バイエルが終わらなかった。。。
↑自慢にならない
と、言う記録的な腕前だ。
(これが後にトラウマのようになって桜を苦しめるのだった)


【最終学歴:高校】
高校入学時、私が夢中だったバレーボールは、実業団の充実やワールドカップ日本開催などの好景気ですごいブームだった。
バレーが強い地元の私立高校への進学を希望するが、経済的に不可能。
働くか?自宅から1番近い姉と同じ公立校(普通科)へ進学するか?
の二者択一だった。
このことで後に両親はたいへんな罵声(八つ当たり)を浴び、かわいそうな事だった。
もっと学力があれば別だっただろうに!
でも末の妹は私学のお嬢様校へ進学するのだった。しかも卒業後海外留学?!(これはそのうち記事になるだろう)

さあ、周りに勧められるまま、バスで10分の近距離の高校へ入学したが、
大好きなバレーボール部は弱小。
ブラスバンド部は、全国にまで出場するほどの強豪。
迷ったが、またもや周りの勧めでバレーボール部へ!
中学で背番号を持っていた者たちは、強烈な勧誘に会うのだ。
でも、これはうまく行かなかった。
2年生になり、先輩が抜けると、とうとう入部動機が『富士フィルムがかっこいいから!』と、練習よりバレーボールマガジンを眺めることに夢中の仲間たちと衝突するのだ。。。
上記にもあるが、私は家には居場所がない。
友達との衝突のストレスには耐えられない。
退部して、不登校となった。
両親は、中間子の私に対して決して無関心ではなかったのだろうが、
家の外での私の世界に理解が及ぶほどの生活ではなかった。
不登校の上、家の中で荒れまくる私を扱いかねたのだろう。
私は一時叔父の家へ預けられる。
叔父は自営業で、日中私を外へ連れ出す(仕事に連れて歩く)余裕を持っていた。
叔父は私の知らなかった外の世界を見せてくれた。
この叔父夫婦は、今でも私は大好きだ。里帰りの際には、桜を連れて必ず寄ろうとする。
お父さん子でもお母さん子でもおばあちゃん子でもない私は、叔父さん子なのかもしれない。

叔父のおかげで、外の世界に興味を持った私は、
今度は
アルバイト
することを糧に学校へ戻る。
↑どこまでも勉強はしないのね???

アルバイトと学校という2重生活で、だましだまし学校へ行き・・・、
夏休みは自転車で
北海道横断ツーリング
を、泣いて止める母を振り切り決行する。
などして、ぎりぎりの単位取得で何とか卒業するのだった。。。

『仰げば尊し』
好きな先生はいたはずだが恩師と呼べる先生は、私の中で数少ないが、
この時(高校2年3年)の担任だった教師は、唯一学生時代の恩師と呼べるだろう。
大学進学を目指して、ひたむきな友人たちを尻目に
私だけが別の物を見ていた。
『かわらずに我が道を歩んでいますか?』の年賀状に今も支えられていると思う。

ちなみに、幼少時代の私とのかかわりはほとんど覚えていない母だが、
唯一この時代の一言
お母さんは、女だからって差別するの?(と、言ったらしい)
↑ツーリング決行の時の一言だそうな(はっきりと覚えていない)

これは、しっかり脳裏に刻まれたらしく、今でもぶつくさ言われるのだ。
なんと桜を産み落とした直後、彼女は
女の子の母親の気持ちがわかったかい?
↑いつか言ってやる!とたくらんでいたに違いない。
と、不毛の問いかけをするのだった。。。産後の娘に???

だが、母の
あんたは親の何を見てきたの?!
私が女である事に、どれだけの思いをしてきたか?
知らないとは言わせない!

↑これは覚えている。
すまない母ちゃん。。。何も見ていなかったのです。 【社会人?1年生時代】
さあ、高校は出たが・・・。
とにかく広い知らない世界を見てみたい
だけの若者となってしまった。
でも、学校がないから時間はたくさんある。が、
金はない!
私は、アルバイトを増やした。その中にスポーツクラブがあった。
スイミングスクールだ。
経歴にないからわかるだろう?この時私は
泳げない
しかし、求人には
初心者歓迎!・泳げなくても大丈夫!
親切丁寧に指導します。などとある。
ただで、
水泳を習いながら、バイトができるのだ。
これはおいしいかも・・・?なんて動機で、このバイトを始めるが・・・。
何事も正面衝突!
の私は、泳げない事で、同僚に引けを取ってばかりではいけない!
と、必死で頑張るのだった。
そしてこの会社、初心者歓迎!=猫の手も借りたい。
人材不足だった。
バイトのほとんどは学生。宙ぶらりんの私は、すぐさま上司に呼ばれ
頑張る気があるなら社員にならないか?
就職が決まった瞬間だった。

泳げないくせに、スイミングクラブ指導員と言う肩書きを持ってしまった私。
でも、この職場で、実にたくさんのことを学んだ。
約10年弱勤める事になる。
ココでの時間は私の青春時代だったのではないだろうか?
波乱万丈はいろいろあったが、長くなってきたので・・・結婚しちゃおう!

【結婚後】
結婚と同時に、夫の職場のある今の街に転居。故郷は遠いかなただ。
流行の『デキチャッタ婚』のつもりは毛頭なかったのだが、なぜか?
半年後には桜が生まれる。
↑もちろんだんなの子だ。そっくり!
仕事を持とう!
とするまでの過程は、そのうち書くかもしれない。
ほとんどだんなの愚痴になるだろうが・・・。
甘い新婚生活はなかった

郷里を全く離れてしまい、
何の人脈も実績もない赤ん坊を抱えた若い主婦。
しかも、これといって秀でた能力など持ち合わせていない。
あるのは気力だけ!
簡単に働くところなど見つかるはずもない。そこで・・・
人生始まって以来、
初めて『勉強』の必要性を確認。
↑おそい!
資格を取らねばならない。しかし、その前に・・・
子どもどうする気?
預け先を血眼になってさがし・・・。
ここなら!と言える保育園に入園希望を出すが、
入園するまでに1年半かかった。
その間、子連れも可能!の食材宅配業など営業職に挑戦しながら、
ホームヘルパー2級の資格をGET!

子連れの仕事は桜の負担がたいへんな事で・・・。
無理をさせたのだろう。
せっかく入園の決まった保育園の初日に桜は胃腸風邪で、
点滴を外せず入院していた。。。ごめんよ桜。
当然のように、入園後、この宅配業はさっさとやめるのだった。

今度の職場は・・・
知的障害児を専門に受け入れる
養護学校

これを決める時には、さほど深く考えていなかった。
ただ、興味ある分野だった事と、主婦にはもってこい勤務時間。
の両方を兼ねていた。もう言うまでもないが、私は教師ではない。
この自治体では、養護学校だけではなく、
学校(注:高校は養護学校だけかな?)では、
障害のために加配が必要な場合
無資格の素人を
介助員

としてパート雇用して加配する。という制度?がある。
私は、介助員さんになった。
またもや、ここでたくさんの事を学ぶ。

ココで学んだ事?が、桜にどれほど影響しているだろう?
学んだ事を活用できているか?
また、正しい学び方をしているのか?が鍵なので・・・
良くわからない。
しかし、彼らとその親たちの魅力に取り付かれるのだ。
もっと近づきたい!
そう思いながら・・・。何年か過ぎた。

【現在】
激しく見直されている?支援費制度の下、
近所の「知的障害児・者 入所・更生施設」を運営する法人で、
新しく「居宅介護支援事業」を立ち上げた。
のが、昨年の春。
当初、施設職員の中から「指定事業所:管理運営責任者」となる事ができる資格を持つ若者を一人だけ、窓口として配置してのスタートだったらしいが、地域での専門職への期待と需要は大変なもので・・・。あっという間に首が回らなくなってしまったようだ。
↑あたりまえだ。一人で地域相手に何をする?

知的障害者福祉の地域の拠点的な立場に胡坐をかいていた社会福祉法人の「措置から契約へ」の流れに乗らざる得ない昨今の福祉現場のバカさかげん混乱の様子が伺えるエピソードだろう。
(が、ここはあまり深く聞き返さないでください。)
注:きちんとやっている法人もたくさんあります!

なぜか?(そのうち詳しく書くでしょう)
またもや宙ぶらりんだった私は、養護学校で知り合った知人に火の車のこの事業所に連れ込まれお誘いいただき、この事業所の
「登録ヘルパー」さん
になった。
↑こんな暴言おばさんを使いこなす上役に同情を!

支援費から支給される私のお給料は、税金だ。
たいそう未熟だが、予てから待望の「福祉のお仕事」をさせていただく事になった。
実は、収入・雇用形態で見ると・・・
正直、この仕事は割に合わない。
だが、同時にこの春から大学の通信過程で学ぶ事にしたので、
時間の融通が利く点で、ずいぶん助けられている。
そして、何よりも魅力がある人々との関わりがある。
そう、私は今
女子大生

ぐうたら主婦?親バカ母ちゃん?だらしない学生?生意気なだけの福祉職?
いったいどれが本分なのか?
と、いう得体の知れない人はこうして出来上がったのだった。

こうして、一気に振り返ってみると・・・。
行き当たりばったり
なだけの人生だな・・・。
まあ、まだ若い!頑張ろう!
↑懲りていない。救いようがないな!
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Comments

こんにちは

こんちは
いつも客観的なコメントを書くNANAさんってどんな人だろう?と思ってたので、興味深く(?)読ませていただきました。

意外と、無鉄砲(失礼!)なんですね。でも、純粋に自分の思いに対して、偽りなくストレートに進む姿勢には、すごいなぁと思います。

実際の現場にふれたわけではないので偉そうなことはいえませんが、養護学校のヘルパーさんって、大変だと聞きますね。

ま、「人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」。

はじめまして

はじめまして★
ブログ拝見させていただきました。

私には妹がいまして、知的障害があります。ですので、なんだか、いろいろお話を聞いてみたいなって思いました★
私も毎日、学業に励んでおりますが、やはり、人生観を問われる気がします。講義を受けていると、今まで私が築いてきたものが一気に覆されることが多いです。

そんなこんなで、また遊びに来ますね★

わぉ

体調を崩してしまい、早くから床についていると…。逆に眠れなくなってしまった。
覗いてみると、コメントが!
皆さんありがとうございます!


Hidekiさん
>NANAさんってどんな人だろう?
『若奥様』のイメージをぶち壊してしまったのではないか?と、ちょっと引け目を感じております。
まっ、かわいい奥様がいらっしゃいますから、いらぬ気遣いですが…(ちょっと冷やかし?すいません。

>[養護学校のヘルパーさんって、大変だと聞きますね。
う~ん。私も現場は1つしか見たことがないので…。なんとも言えませんが…。
福祉もそうですが、教育機関も事業所の理念などによって、実践には雲泥?というか?激しい色の違いが出る事はすでにご存知の事と思います。
その色と自分があっているか?どうか?は、利用者だけではなく、職員の受け止める印象や生活にまでも影響します。
私は、あの学校はもう退職したのですが、今でも行事等のお知らせが届くと、桜を連れて覗きに行こうかな?と、考えます。
思うところはないわけでもないのですが、『楽しかったなあ~』と、振り返る事のできる時間を過ごさせていただきました。そこで知り合った親御さん(もちろんお子さんも)の中には、今でも親交のある方もいらっしゃいます。私の憧れの親象たちです。感謝していますし、今後も大切に付き合っていきたいと思っています。



ちゃーさん。
>私には妹がいまして、知的障害があります。
そうでしたか。突然の訪問でしたのに、来ていただいてありがとうございました。
私の姉妹たちは、今はもう4人揃う事はまれです。もう何年になるでしょう?最後に4人顔を合わせたのは、私の結婚式だったと思います。(ブラックですが、次は葬○?
と、いうくらいそれぞれ離れて生活しています。でも、どんなに離れても、どんなにぶつかり合ったり、傷つけあったりしても、切れる事のない絆を持つ姉妹をたくさん持たせてくれた親に感謝です。
そして、わが子にはその兄妹を持たせてやれなかったことが残念です。

>講義を受けていると、今まで私が築いてきたものが一気に覆されることが多いです。
私は…。大学の講義には『やはり視野が広いなー』の印象を持ちました。
福祉には様々な角度から物を見ることが欠かせない。とも聞きました。
今まで築いてきた物も否定する事はないと思いますよ。
一緒に頑張りましょうね!

ごめんなさい

ごめんなさい!この返信の仕方とかがよくわからなくて、URLを入れなくてはいけないというのを知りませんでした、すみません!入れたほうがいいのですか!そして、そして、決して嫌なわけではありませ~んっ!!汗
仕組みがよくわかっていません…

妹の話など、またのせていきますね★私は妹ラブなんです★笑

大人は自分の生きてきた道しか知らないから、子供がそのレールから外れそうになると、不安なんですよね。「13歳からのハローワーク」という本に書いてありました★



いえいえ

ちゃーさん。
リンクさせていただきました。ありがとうございます。

私も仕組みは全然わかってないのです。
こちらの方こそごめんなさいね。

また行き来しましょう。よろしくお願いします。

すごいですね、エネルギーのかたまりのようなNANAさん。常に前向きに挑戦する姿がステキです。
いつも、コメントが客観的で冷静なのでなんでだろうと思っていましたが、養護学校にお勤めだったと言うことで謎が解けました。
子どもの気持ち、教師の気持ち、親の気持ち、どれも一定程度わかりますものね。

受け取り方次第ですが

前向きな読み取り方をしていただき、ありがとうございます。
ただ…
>子どもの気持ち、教師の気持ち、親の気持ち、どれも一定程度わかりますものね。
どうでよう?生意気に口を挟む割には、はなはだ自信が持てない次第です。
私的な自己分析では、客観的というより、逆に『主観的を極めているのでは?』の感。。。です。
いろんな事を言ってくれる方々の存在が大切な私です。

人生色々だよねー

ほんま人生はいろいろだなー!
なかなか、波乱万丈な人生だねー!
このブログを読んで自分の昔も思い出したなあ。
 ちなみに自分は、小学校の時は、あまり良い子ではなかったのだ(今でも良くないか・・・笑い)うーん5年生までは特にそうだったな。やんちゃな仲間と一緒に遊びまくり地域では自転車暴走族と呼ばれていたな。それが、6年生の時の担任の先生との出会いが自分を少し変えたような気がする。その時から中学校の3年間は、どちらかと言うと生徒会をしたり、クラブ活動も剣道をがんばってやったりして学校の中でも、色々良い面で目だっていたほうだったよ。ただ1つはなかなかもてないのがなやみだったかな????それが原因で高校は、女子が多い高校を選んでしまった。なんとミーハーなことだ。うーん!でも入学時は、学年トップの成績だったのだが、ここで、高校デビューしてしまったのだ。1年の時は、それまでしていた剣道を続けていたのだが、ここで、ふと思ったのだ「このクラブではもてない!」それがすべてのきっかけではないのだが、ラグビー部を設立してしまった。体育の教師からはおもいっきりブーイングの嵐だったが、なにくそと思いラグビーに没頭していた。自分の中に成績優秀でいても卒業してしまえば誰も覚えてはいない人になってしまうが、自分たちが作って残したものあればそれは自分の人生の中で誇れるものになると思っていたのがこの頃かな。そんなことをしながら高校3年間を過ごしてきた自分なのである!
 まだまだ、語りだすと、ながくなるので今回はこれくらいにしとこっと!ただ、今でも、この時に勉強しておけばよかったとかなどの後悔の念はあまり感じたことはないな。。。。短絡思考のせいかも????その時、その時人は一所懸命生きていればそれでよいのではないのかな?どんな生き方でもその時は1度だし、その時の力で出来ることを精一杯すればよいよい!
 では、この続きはまたかきますね????最後にけっこーいい味出してるよ!人間としても女としてもね??笑い。。。。

これは、これは。

連れ込んでおいて…。
先に逃げようとした?てつろ様ではありませんか?!

それで…。その後おもてにはなりましたか?(愚問

>人間としても女としてもね??笑い。。。。
そうでしょう?e-271
いい女でしょう?e-281

他の記事にも、コメント待ってますe-415

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NANA

Author:NANA
わが家は3人家族。
きっと一生溺愛し続ける娘は7才。小学1年生。
定年まであと10年をきった年代間ギャップの激しい夫。
異郷の地で友達が少ない私。昔からメカ音痴の上、はやり物に乗るのはきっと今回のこのblog挑戦が生まれてはじめてかも・・・?
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