おもいでになったとき

あわよくば《いい思い出だな》と、思い返す日がきますように!(願) 今の日々が思い出になったとき・・・。私はどんな人になっているのだろう?いろんな人達と語り合えると良いなっと、blogに初挑戦です。

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校長先生のお仕事blogにはたくさんのコメントがつく。
ぜひ彼らから何かを学びたいといつも感じる。

今回の記事にはこんなコメントがあった。
学校の先生って、他機関と連携することに不慣れですね。
他機関どころか、校内での連携も、あまりお好きでないようですね。
何でも自分で抱え込む癖がおありのようです。

そして同意のコメントもあった。
私も同様のことを感じていた。
いつも通り勝手な人で申し訳ない。
だが、このことは結構以前から気になっていた。
今回はこの部分について考えてみたい。

教師は、連携が苦手?
当の先生たちはそんなつもりでやっているわけではないだろう。
しかし・・・。その原因と思われる物を先生の記事の中から探してみた。

管理職になったわけ・・・実は不謹慎な動機だったシリーズ
には、こんな記載がある。
で、
教師という仕事に、かつての私は24時間拘束されていました。休日に我が子を公園に連れて行っても、TVで好きな野球を見ながらビールを飲んでいても、来週の授業の準備をしなくてはとか、子どもの作文に赤ペンを入れなくちゃならないなどの仕事が残っているとか、自宅にいるときは常に何かに追い立てられているような、あるいは罪悪感のようなものを感じていました。睡眠をとっている時間も学芸会や運動会の準備が遅れている夢を見て寝汗を書きます。子どものために良かれと思うことを追求しだしたら教師の仕事に際限はありません。そういう仕事なのです。
には、
公立学校では確かに教科書は同じ自治体の中では同じものを使ってはいますが、教科書とノートだけでいつも良い授業ができるというわけではありません。保護者にドリルを購入してもらったり、ワークシートを手作りで印刷したり、黒板に掲示するカードを作成したり、こういうことは教師個々の発想や努力、力量に多くを依存しているのです。
には、
教材の選択や教材作成など教師個々に授業の多くの部分が任されているのですから、教師一人の力では対応できません。それだけに、教員の世界にはいろいろな研究団体があります。作文の研究会や生活指導の研究会、言語指導の研究会、数えられないくらいの研究団体があり、それぞれ独特の指導法を確立しています。学校にはいろいろな研究団体の実践に学んだ教師がそれぞれの手法を駆使して授業をしています。

 ですから、一律にどの学校にも統一教材を渡して、「これを使ってプログラム通りに教えれば余分な苦労もありませんよ」という訳には行かなくなってしまっているという現状があるのです。また、教師がどのように教えるのかの裁量の範囲に行政が介入してくることを拒否する体質があり、それは法解釈にも一定の根拠を持っています。

■学校による教育課程の編成[管理運営規則]
■教諭の職務-児童の教育をつかさどる[学校教育法28条⑥

と、あります。

『なんでも自分で抱え込んでしまう癖』には、『授業・実践』という、先生たちの本分である仕事について、連携や協力よりも、個人に力量にその多くを依存されている。状況下で、働く職業人としての、先生たちの置かれている背景が関係ありそう。
と、感じ取れます。

さらに、同シリーズ⑤では、
こんなに苦しい中でがんばっても、ちっとも報われないという思いはますます強くなっていきました。子どもが成長の中で見せる笑顔や輝きが唯一の救いでした。あんなにトラブルが多く問題児とされていた子どもが、自分が担任してからすっかり変わって生き生きと学校生活を送れるようになった、指導困難な学級を立て直したなどが私の小さな自己満足でした。
には、
私が教師を辞めたくなった理由にもう一つ、学校行事がありました。運動会や学芸会、展覧会等です。私だけなのでしょうか教師間の強烈な競争意識が働くのです。自分の学年だけみっともないことにはしたくないという気持ちというのでしょうか。

子どもたちの力を大いに引き出せたときは、教師としてこれ以上の充実感はありません。

と、あります。
この一連の記載から、先生たちの心理状態が浮き彫りになっているように思います。


また、学校で競争は絶対に必要という考えの記事では、
教員はまだ、子どもたちからの無言の評価、親からの「評判」という評価を受けているので、これまででも、仕事に対するあまりにいい加減な意識を持っている人にはあま出会いませんでした。
(仕事が良くできているかどうかは別として、仕事への意欲はある程度は有った)

にもかかわらず?
公立学校では、今までは、子どもたちの間での競争はともかくとして、学校間の競争、職員間の制度的な競争は、基本的に無い状態でした。
しかし、今、競争原理を取り入れることによって、学校に活力をもたらそうと、いくつかの自治体では学校選択制度が始まりました。
選ばれずに小規模化していく学校はやがて、統廃合の道を歩むことになります。
教員間にも、成績によって給与格差をもたらそうとする動きが盛んです。

である事を危惧されている。
ここでも、先生たちの心理状態が映し出されています。

つまり、
教師は、『教師にあるべき姿』を追い求めるがために、『自己の能力に磨きをかける』べく、学習・経験・膨大な努力を繰り返す暮らしをしている。
そのエネルギーの源となっているのは、公務員としての安定した給与体系などを含めた待遇にあるのではなく、教育のプロとしての達成感であり、充実感であり、子どもたちの成長振りであり、親からの評価。などであると・・・。
しかしこれらの評価は、枠に収める事ができない流動的な『各自の解釈』の範囲が広く、したがって、受け取る個人によって様々である。事が予想される。
そして、頑張ればがんばるほど、否定的な評価には耐え難い。のは、人としての常であり、教師も人だろう。

↑で言いたいのは、教師が己の実践を評価する場合は甘くなる。と、言う単純な心理状態ではない。むしろそんな単純な環境にはおかれていない。
教師は、教師であろうとすればするほど、個人が得られる充実感。に頼らざるを得ない。状況下でさらに自己に磨きをかけることを要求されている。
人達なのではないか?と、予想できる。と、言う事だ。

以上のことから、職員室社会では、頑張るためには自己こそがすべて。と、いう暗黙のルール?のような物が発生してもおかしくない。お互いがつぶれずにともに頑張ろう!と、すればなおさらの事。自分たちの社会の秩序を守るためには、人様の実践に対してあまり踏み込んでしまってはいけない。との風潮が自然発生的にあるのではないか?
これが循環して、自分の実践に対して、人様のご意見をあまりに仰ぎすぎるのは非常識?のような感覚が蔓延する事もありえるだろう。

また、こういった状況下で長い事暮らしていれば、
人様からのアドバイスを自分の中で消化する事。うまく自分なりに活用する事。は苦手となるのではないだろうか?

こうやって考えてみると、『連携が苦手』は、きっと感覚レベルではなく、事実だろう。
しかし、それは先生たちの怠慢のせいではない。ことはわかった気がする。

でも、今後この世界で連携は必需だ。と、私は考えている。
いったいどうすれば、解消される物なのでしょうね?
先生たちのせいではないのだから、これは考えるところから、社会のたくさんの人達が連携して、皆で考えていけると良いな。
と、漠然と思っている。ここまで書いといて、漠然とで申し訳ないが・・・。
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Comments

結局、外からアドバイスしてもどうにもならないことをみんな知っているからではないでしょうか。本人も気づかないような、ちょっとした簡単なポイントを直すだけで、学級ががらりと変わってくる、そんなすごいアドバイスが出来る人がいればいいのですけど、みんなドングリの背比べで、その人にしか出来ない実践で(結局、その人の人柄に多く依存しているので)アドバイスしてもかえって、相手がつらくなるだけだとしたら、慰めの言葉しか言えなくなりますから。

今、彼女にどうやって声をかけてあげたらいいか困っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/tomo000000tomo/archive/2005/11/25
このURLに是非訪問して、励ましてあげてください。

自分を助けられるのは自分だけ?

どんなに個人の裁量による職業だとしても…。職員室社会は広いようで狭く、狭いようでとてつもなく広い社会なのではないでしょうか?
しかも組織付けがなされた公職です。
個人主義を自ら作り上げすぎ?の感はやはりぬぐえません。

彼女は、大変な努力家。勤勉な方なのでしょう。自分への評価が辛すぎる印象がありました。
若い人には、ぜひとものびのび活躍して欲しいものですね。若い時のまっすぐな真剣さとエネルギーは、たとえその時点ではまるで効果がない?あるいは、逆効果(失敗)に見えたとしても、後々必ずその子達の財産に変わっていくはず。
人対人の出会いとはそういうものだと思います。

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NANA

Author:NANA
わが家は3人家族。
きっと一生溺愛し続ける娘は7才。小学1年生。
定年まであと10年をきった年代間ギャップの激しい夫。
異郷の地で友達が少ない私。昔からメカ音痴の上、はやり物に乗るのはきっと今回のこのblog挑戦が生まれてはじめてかも・・・?
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